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おまけの話 ①       粋ですねー  昔も今もお上は同じか? 江戸庶民のDNAはNAUが引継ぐ!

四十八茶百鼠の意味とは

四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)とは、江戸時代の町人が工夫して編み出した、茶系、鼠色(灰色)系の染色のバリエーションを指す言葉です。ここで言う「四十八」「百」は「たくさん」という意味。実際には茶系も鼠色系もそれ以上のバリエーションがあったそうです。
江戸の町人の皆さんは、なぜこのような色を競って編み出したのでしょうか。
きっかけは、当時、町人の贅沢を禁止する、奢侈禁止令(しゃしきんしれい)というおふれが出されたことだという説が有力です。
江戸時代、裕福になった町人の中には、衣装に贅を尽くすようになった人々がいました。総鹿の子、金刺繍などの豪華な衣装が競うように作られ、寛文年間(1661年~1672年)には、『新撰御ひいなかた』という今日で言うファッション誌も。富豪町人の奥さんや娘さんの衣装比べが話題となったそうです。
そんな状況に待ったをかけたのが、幕府。「小袖の生地の値は1反200匁以下にすること」などの決まりを作って、町人が刺繍や染色にお金をかけられないようにしてしまいました。
また、江戸時代後期には、町人の紅や紫などの染色が禁止に。そこで、町人の皆さんは、手頃あり禁止もされていなかった植物由来のタンニンや、どんぐりや炭で作った染料、藍などを使って、茶色、ねずみ色、紺色などの範囲で微妙に異なるさまざまな色を編み出したのです。なんとも粋な話ではありませんか。
こういった色のうち、茶系、鼠色系の色の総称が四十八茶百鼠です。茶系の色では、歌舞伎役者から名が取られたものが有名。例えば、「団十郎茶」は市川団十郎が代々用いている色で、現代でも襲名披露などでこの色の裃(かみしも)が使われるそうです。
他方、「利休茶」「利休鼠」という色は、「利休」が入っていますが、千利休が好んで用いていた色というのではない模様。江戸の人たちが緑っぽい色から抹茶を想像したのか、何となく「利休っぽい」ってことで色名をつけたという説が有力のようです。